人間にとって自然な死とは、一体どんなもの?
「死」について、わたしは驚くほど無知でした
父、母、弟、私。親戚づきあいの少ない、たった4人の核家族で育った私は、「死」についての知識も免疫もありませんでした。
遠方の祖父や祖母が亡くなったのはまだ子どもの頃でしたが、お葬式というものがただただ、「非日常でなんだか恐ろしいもの」であると感じていました。
そしてなぜか、自分には無縁の遠い話のように思えていました。
私にとって「死」とは、「怖いもの」「遠ざけておきたいもの」「考えたくないもの」でした。
父の急逝と、1年後には母の「がん」宣告
心の準備のできていない、父との突然の別れ
父が突然、亡くなりました。師走もあと数日で終わるという、私の34歳の誕生日の朝のことでした。
職場でその報せを受けたわたしは、あまりのことに気が動転し、膝から崩れ落ちました。
わたしの日常に「死」が突然にやってきた瞬間でした。
そして・・・。
父との突然の別れによる深い悲しみと喪失感に暮れる中、離婚が決まっていた元夫は家を出ました。
申立が済んでいた裁判所での離婚調停にのぞみ、精神的に非常に辛く苦しい日々でした。
3人のまだ幼い子どもたちを、母が一緒に暮らして面倒を見てくれました。
それがとてもありがたく、心強く・・・。
何よりも、こどもの成長を一緒に「すごいね!」と喜んでくれる家族がいるということが、わたしにはほんとうに嬉しかったのです。
癌、7ヶ月の闘病の末の母との別れ
そんな母に癌が見つかったのが、父の急逝からおよそ1年後のことでした。進行の早い、スキルス性胃がん。
胃カメラで、かなり大きな病変が見て取れました。
母は手術にも抗がん剤にも挑みましたが、癌がすべて取り切れることはなく・・。
短期間で体重がどんどん落ち、やせ細っていきました。
母にもやってきた「死」の影。
私は怖くて怖くてたまりませんでした。
「死」はどのようにやってくるのだろう。
何しろ私は、「死」は恐ろしく悲しいものであるということ以外、
「死」のプロセスも何も、ほんとうになにも、知らないのですから。
自分だって生きている限り、絶対に避けて通れないものなのに。
生きている限り誰もが絶対に、一度は経験するものなのに。
人はなんだって、知らないものは怖いのです
そう。見えないものは怖い。知らないものは怖いのです。魂は不滅だと、いくら知識として知っていようと、やはり肉体としての未知の経験は、怖いです。
だから、みなさん、知りましょう!学びましょう!
肉体を持っている限り避けて通れない「死」という現象を。
あなたの人生から忌み嫌って締め出すのではなく、
人生の最後の最後、その瞬間まで、自分のあり方を選んでいけるように・・・。
できれば私は、いつかその時がきたら。自分の死を通して、子ども達に学んでもらいたい。
死は誰の隣にもあり、誰もが通る道でもあり、怖がらなくても良いのだということを。
そして、最後の瞬間まで「生」を、「この命」を、生ききることの大切さを。
人生はいつか終わる。儚いからこそ美しく、尊いものだということを。
「平穏死」10の条件 ~胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?~
医師である長尾和宏さんの著書です。町医者として、在宅で500人以上の方のお看取りをされているそうです。
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この先生にとっては日常である「死」。
老衰とはどういうことか、自然な死とはどういうものか。
人はどのように死の瞬間を迎えるのか。
平穏な死を迎え入れるためには、何が必要なのか。
この本には、わたしが知りたかった情報がたくさん詰まっていました。
すべて望み通りにはいかないとしても、自分が選べるとしたならば、どのような死の形を望むのか。
また癌と診断され、末期を迎えている母の、治療方針について。。
この本を家族とシェアして、悩みながらも、みんなでより良い形を模索し、考えることができました。
もっと若いうちに読んでおけばよかったな、と思える、素晴らしい本でした。
終末期医療や介護に携わる方に。
ご家族やお身内の「その時」を考えるタイミングの方に。
また、いつか自分の「その時」を迎える準備として、
とにかく皆さんに!一度は読んで欲しいと思う、私のおすすめ本の一冊です。
まとめ
今回は、【肉体の死】に向き合った時に、大変参考になった本をご紹介させていただきました。スピリチュアルの観点からのオススメ本や、
父や母が肉体を離れた後の不思議体験もいろいろありますので、
それはまた、次の機会にご紹介させていただきたいと思います。
おわりに、母の最期
家族が「平穏死 10の条件」を読んでから迎えた母の最期。癌の最期はやり方によっては、老衰と近い「平穏死」と呼べるような状態で迎えられると知り、わたしたちはとても救われた思いでした。
担当医師へも希望を伝え、できるだけ安らかにその時を迎えられるよう、可能な限り付き添い、気持ちを寄り添ってきました。
母とは直接的に「死」について対話をすることはありませんでしたが、母は母なりにその時に向き合い、準備と覚悟をしている様子でした。
半分眠っているような様子の中、呼びかけに時々応える母は、
「うん、ありがとう」「ありがとね・・」「ありがとう・・」
何度も何度も、そう言っていました。
わたしには「ひかりのことば」「光の言葉」というインスピレーションが何度も訪れ、
もう最後になってしまう、嫌だ、という気持ちと戦いながらも、
母への素直な気持ち、ありがたいと思っていたこと、母の好きなところ、
そして心からの感謝を、自分の言葉で伝えることができました。
いよいよ最期を迎えた母。
当時9歳だった長男が、こっそり教えてくれました。
「おばあちゃんがね、上で手をふってるよ。ばいばーい、って。」
心からの感謝や愛を伝える、その行為は、わたしたちが考えている以上に、死のプロセスの中で大きな働きをしてくれるものなのかもしれません。
母が亡くなって、四十九日を迎える頃。
長男はノートの切れ端に、おばあちゃんへの手紙を書いていました。
『おばあちゃん、いままでありがとう。まよわずに、光へいってね』
長男のその気持ちは、きっと母に届いているなと感じます。
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あなたとあなたの大切な人たちが、その美しい魂の光をこの世界に顕現し、
力強く人生を創造されることを 心よりお祈り申し上げます
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